英語のプレゼンを準備するハウ・ツー

 id:tsugo-tsugoのエントリに触発された。

英語のプレゼンのこつ(理工系用)

 inoueが学会で見たプレゼン見聞、自分でやるようになってからのプレゼンの経験から、泥縄式、じっくり式、いずれも3点にまとめてみる。なお、inoueの業界は化学・化学工学である。

泥縄式

I.フォーマットに従って、ストーリーを作る
 フォーマット、というのはこういうこと
 1.タイトル
 2.Background/Objective:自分の扱う問題(研究目的・背景)を、聴衆のレベルにあわせて提起する。
 3.Goal:プレゼンする研究において、到達すべき目標を提示する。(ストーリーとしては、結論の部分で“ゴールを達成しました、めでたしめでたし”で終わらす)
 4.Outline:(プレゼンの話の流れ)を提示する。
 5.Body(ここからは本題に入ります)・・・・5.の中で、自分がoutlineのどこを話しているのか、適宜反復するとよい。
 6.Summary/Conclusion/Outlook:“ゴールを達成しました。めでたしめでたし。(あとはこんなことをやろうと思います)”
 7.Acknowledgment:この研究に○○がお金をくれました。この研究の△△の部分は、××さんに助けてもらいました。(“××、は、共同研究者でないが、触れておくべき人のことを示す。)

 学会発表で、とくに英語によるプレゼンを行う場合、話さなければならない時間はだいたい15分〜20分(場合によってはそれ以上)。自分の話す中身もさることながら、それ以上にイントロに気を遣った方が、聞き手としてはわかった気分になれる。
 ポスター紹介のショートプレゼンであれば、1→2+3(これを1枚のスライド)→5(一番見せたいデータ)→6という流れ。


II.スライドでは、極力“絵”をして語らしめる。説明文・コメントは簡潔に、ポイントを突くように書く
 1スライドあたり1枚の絵を使うようにし、かつ、スライドあたり主張したいことは、できればひとつだけにしぼる。なお、字のサイズについて、“大小の字が混在すると、見づらくてそれだけで聴く気がなくなる”という人もいた(3種類、が限度だそうである)表題、主張、注釈に分ける、といったところか。
 スライドの数はだいたい、1枚/分。


III.とにかく、少なくとも5回は通しで練習する
 練習の数は、多いほどよい。英語が苦手、と自覚するのであればなおのこと。原稿を作り、その通りに読んでみて、blind(原稿を持たずに、ということ)でやってみて・・・と繰り返していると、だんだん簡潔な言い回しに落ち着くはず。(これがid:tsugo-tsugoのいうところの“中学生レベルの、バカ正直なまでに単純な言い方”だと思う)

 inoueが留学していた大学に、NAS、(米国科学アカデミー)NAE、(同工学アカデミー)、Institute of Medicine of NAS(訳語を知らない・・・)の3つの会員、というやんごとなき御方があった。その方が、“Facultyになってはじめての学会発表(だったと思う)は、3週間前から練習していた”と学内のさる講演で述べていたのがとても印象に残っている。

 以上、泥縄式でした。

 つぎに、じっくり式。

i.英語くらい、話せるようにしよう
 発音がnativeらしくないのは、許容される。Kissingerの英語はべたべたにドイツ語なまりだった(松山 幸雄の著書にあったと思う)、という話や、Ayn Randの英語のロシア語なまりがきつかった(杉田 敏が以前そんなことをどこかに書いていた)という話、などなど。文法がおかしい、のも、ネタにはされるが、許容される。
 しかし、“話せない”というのは、知的でない(素直に言えば“バカ”)、と見なされるリスクがある。
 目安としては、TOEIC600以上、英検ならば2級以上、といったところか。どっちも高いにこしたことはない。
 ちなみに、この“英語は、勉強するべきだ”は、何も理工系に限った話ではなさそう。芥川龍之介や、小林秀雄だって同じことを言っている。


ii.人前で話す訓練をしよう
 場数を踏むこと、ですな。話の組み立て方は、万国共通だと思うので、国内の学会は十分に練習の場になる。
 英語でまとまった話をする、となると、たとえばこれ。

英会話なら岡山トーストマスターズ
岡山トーストマスターズクラブのご案内

 アメリカが発祥の地らしい(さすが、話すこと命、の国だなあ)のだが、こういうところで場数を踏むのも、案外いいかもしれない。


iii.頭が真っ白になる経験、をしてみる
 智者は他人の失敗に学び、愚者は自分の失敗に学ぶ、という箴言があるらしいが、いちどはこういう経験があってもよい。しかも、なるべく若いうちに。もちろん、好きこのんでパニクるわけではないと思うが、いったんこの経験をするとあとあと吹っ切れたようになれる。
 ちなみに、inoueのそれは、修論発表だった。よりによってそんなところで・・・と、当時は思ったものだが、いまにして思えば修論発表の場だったからこそよかった、と思っている。プレゼンの出来不出来で、合否が決まるわけではなかったのだから。


 最後に・・・英語のnon-nativeとしては、“中身が大事なのよ、見てくれよりも・・・”と言いたくなることは一再でない。英語で話せるというのも、そういう意味ではハウ・ツーそのものである。しかし・・・

“我々が生きていくためにハウツーは重要であり、軽視してはならない”
(小野田 武(故人)の文から引用)

ぐっど・らっく!