AI・未来(李開復)ー前書き(その3)

半生を振り返ってみると、私は理想に燃えた科学者であり、勤勉実直なエンジニアであり、さらに卓越性を追求する経営者であった。反面息子であり、夫であり、父親であることをほとんど忘れていた。―5年前にIV期のリンパ腫と診断されるまでは。この病気のため、私は仕事中毒的な生き方を続けることが不可能となってしまった。治療中の不安な時期に色々考えた。仕事での達成感だけで自己実現することがいかに愚かなことであるかに気づいた。最愛の家族をないがしろにしたこと。どれだけ愛していたかを伝えたかった父はすでに他界していた。母はアルツハイマー病になり、愛する息子をもはや認識できなかった。娘たちがすでに大きくなっていて、子供の成長を楽しむ時間は既に過ぎていた。私は人生において優先すべきことをそうしなかったことを痛感した。痛みを伴いながらも回復し、元気になった私は、愛する人と過ごす時間が増やすこととした。母との距離を縮めることにつとめ、妻と一緒に旅行に行く機会を増やした。娘の帰省時には、彼女らと過ごすことを優先することを心がけた。死と隣り合わせの時間を過ごしたことで、私は人生のスタイルを変えたのみならず、人工知能にない「人間性」に思いをいたすようになった。

人工知能には、人間がやらないでも良いような反復作業を行うことはできる。かたや愛することは、人間にしかできないことだ。生まれたばかりの赤子を見たとき、一目惚れしたとき、体験したことを仲間と分かち合えたとき、ボランティア活動などで人の役に立てたとき。人間の愛はそこにある。愛することで、われわれ人類は人工知能とは一線を画せるのだ。SF映画が描く人工知能のイメージを信じてはいけない。人工知能には愛することはできないし、感情や自己認識すら持っていないのだと私は断言できる。AlphaGo(人工知能アルゴリズム)は、囲碁で世界チャンピオンに勝つことはできても、勝つ歓びを語ることはなく、愛する人を抱きしめたいとも思うまい。

 人間にあって人工知能にはないもの、それは創造性と思いやりである。人工知能に得意なことをさせることで、より多くの、人間にしかできない職業を産み出せるのではないか。たとえば医療診断や治療、介護において人工知能を活用できる思いやりのある医療従事者を増やすことができないか。子どもたちがこの新しい世界で生き抜く力を身につけ、勇気を持って成長できるようにするために、教師の採用を10倍に増やすこともできるのではないか。

 たしかに人工知能の急速な発展は、人類にとってこれまでに受けたことのない挑戦なのかもしれない。しかし、人類はこれまでもあらゆる試練を乗り越えて立ち上がってきたのではないか。人工知能革命の結末は、経験うらづけのない過度にナイーブな楽観主義や悲観的な思考に陥ることを選ぶか、問題を解決しようとするかにかかっている。ちょうど私にとって、人生の最大の挫折はがんになったことだったが、その最大の挫折が今では私の最大の財産をもたらしたように。

かつて科学者、現在は投資家として、技術開発の立場から人工知能に携わって34年が経過した。人工知能が大きな価値を生み出し、ビジネスを世界を変えていることを誇りに思う。 しかし、21歳の時のように、いずれは機械が脳に取って代わるとは、いまの私はもはや考えていない。 人間で一番価値があるのは脳ではなく心だと、いまでは固く信じている。