『数学の美』出版しました!-2.「唐物」
2.「唐物」
これまでの献本先(監訳いただいた持橋先生経由、が主なのだが)からいただいた評で、「○章が面白かった」の『○』章が結構人によってまちまちだ。inoueは、これが良書なのだと思う。先日も出張の折に新华书店を除く機会に恵まれたのだが、原著は未だに書架に陳列されていた。2020年発売(第三版として)にも関わらず、だ。良書を紹介できて良かったと、改めて思う。
さて、本題の「唐物」である。訳者まえがきの中でサラッと触れたが、「唐物」のわが国における初見は9世紀初め、『日本後記』の記事に遡るという。海外から貿易などの手段を通して日本にもたらされた文物を指す、が、そもそも貿易関係の主たる相手はながらく中国・朝鮮半島だったため「中国からの舶来もの」を主に指すようになった。
「唐物」は平安時代までであればまず太宰府で受け入れられ、そこから消費者である貴族の元に運ばれた・・・のだが、鎌倉時代(より正しくは平安末期の平氏政権時代)から武家階級が唐物の消費者となる。inoueの出身地の鎌倉自体、五山に代表される禅寺であったり、そこに遺されている書画、折に触れ出土する中国青磁など、唐物の受容が日本全国に広まった契機となった古都だったのだ、ということを、この正月本を読み読み学んでいた。なんか漠然と感じていたことを整理できて、ちょっとうれしい。
inoueは、「唐物」の言葉に新奇なもの、自分の土着の文化にないものというニュアンスと、かつ「唐=中国由来」というニュアンスの二つを感じる。そういう意味において『数学之美』は、『三体』ほどに中国らしさを頻々に感じる書物ではないにせよ、『AI2041』ほどには「唐物」たり得るのではないかと思うのだ。
ちなみに、「唐物」の交易は必ずしも公の交易に拠らなかったようだ。日中間の公の「交易」は遣唐使の中止ののち、足利義満の「勘合貿易」まで約500年途絶えていたわけだから。

inoueが鎌倉の海岸で拾う「唐物」、大半は元の時代のものではないかと指摘を受けたことがある。ちょうど昨年は文永の役後750年の節目だったが、当時の日中関係は政「冷」どころではなかったはずだ。そんな折りにも「唐物」は珍重され、いまでもその名残をこうして感じることができる。
まったく、人間という生き物は技術ほどには進化しないものだとつくづく思う。だから歴史は繰り返すように見えるのだろう。




