畏友(と言っても大先輩といっていいくらいの方だが)が、こんな本を書いていた。うかつながら先日本屋でばったり見つけて、そのまま購入して読了した。
(こういう”気まぐれ”や”犬も歩けば”がweb2.0で変貌するのか、それともリアルの世界に普遍的な現象にとどまるのか、いかがでしょうか・・・梅田師匠?)
↓ここに反応しました。
なお、書評を試みるのはかくもリアルな世界の話。
- 作者: 岡本秀穂
- 出版社/メーカー: 裳華房
- 発売日: 2006/02/28
- メディア: 単行本
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筆者は大手化学企業で、材料や化学プロセスの研究開発を長年手がけてきて、定年退職ののち大学で教鞭をとって現在に至っている。本書では、その研究開発のなかで遭遇した(筆者なりの)興味深かった事象を、”複合化”という観点から理解しなおそうと試みている。とくに、1章における毛利家の3本の矢の例えの定量解析(?)からはじまる件はイントロとして最適であると思うし、6章の金属を繊維で強化した複合材料(FRM)の開発についての記述には、若き日の筆者が嬉々として実験していたであろうことが髣髴としてinoueの好きな部分である。
また筆者の本書をとおしての主張である”西洋流の還元主義一辺倒ではない事象の理解の仕方”ということも、雰囲気としては賛成したい部分もある。還元主義的な事象の理解は、ともすると目の前に起きている事象の理解可能な部分のみを切り取って満足する傾向があり、とくにinoueの縁のある分野において言えばそこに陥ってしまった触媒開発は不毛でしかないと思うためである。
ただinoueからみれば、還元主義に対する東洋的な自然観(いずれも第2章)は、やや安易なアンチテーゼになってしまっているのではないかという懸念がある。複合材料について、その物性が筆者の言う”1+1=2”でないところは尤もとして、2からのずれを”複合化”として一括りにしてしまうとすれば、果たしてそこに科学・工学としての面白みや、あるいは他の材料への展開はありえるだろうか。表紙にもなっている滋賀・坂本の穴太(あのう)積がいい例である。この石垣積みが単に”複合化”でくくられてしまっては技術の継承はローカルな、断絶のリスクさえまぬかれないものになってしまうだろう。これが普遍的な技術に転化し、さらに発展することがあるとすれば、この石積が還元主義的な言葉により理解されるときではないだろうか。
筆者は”複合化の科学”の体系化に今後取り組んでいく意気である。その過程で穴太積の筆者なりの解釈がなされることを、inoueは期待したい。