技術革新と「職」

[勝手に抄訳] 技術革新と「職」

 以下、Technology and jobs: Coming to an office near you | The Economist

からの抄訳、というか中途訳。

 イノベーション(技術革新)は進歩のたまものだが、それによって職が奪われることもまま起きてきた。産業革命時には織物職人の職が機械織りにとって代わられたし、この30年来のデジタル革命により、20世紀の中流階級の職業、たとえばタイピスト、切符切り、銀行の出納係やおおくのライン工といったものも織物職と同じ運命をたどった。

 このようなある種の職業の衰亡は、技術革新の一面である。なるほどそれにより失われる職業はあるが、同時に新たな職業が生み出され、それによって社会の生産性が高まり、人々は豊かになり、さらなる商品やサービスへの欲求が生まれるのである。100年前、アメリカ人の3人にひとりは農場で働いていた。今日ではその人口の2%にも満たない人が当時よりも遥かに大量の食糧を生産している。農業から解放された数百万もの人たちは失業したのではなく、経済発展に伴って生まれた、より高給な職業に吸収されていった。今日秘書という職業は衰退しつつあるが、コンピュータプログラマーウェブデザイナーといった職業がそれを補ってあまりあるほどに興りつつある。

 

Ironbridge*を思い起こそう

*産業革命発祥の地として、イギリスにて観光スポットとなっている。

 

 技術の進歩を楽観的にとらえるのは正当化できるとはいえ、労働者の立場からすれば技術革新によって職が失われることが、その恩恵よりも先に立ってしまうことがままある。新しい職や魅力的な商品が生まれても短期的には収入格差が拡大し、社会の不均衡をもたらし政治を変えてしまうことが起きるだろう。技術革新のもたらす衝撃は竜巻のようなものかもしれない。それははじめに豊かな国を襲うものの、やがて豊かでない国へ影響をもたらす。

 とはいえ、歴史は繰り返すのだ。産業革命の初期において、生産性の向上の恩恵はもっぱら資本家が享受したが、のちには労働者もほとんどの恩恵にあずかることができた。今日起きていることも似ている・・・

_____

 さては、Neriの「チェホフを読め」とは、「桜の園」であったか。