inoueのアメリカ経験−2

2001年 8月
 スタマ(Star Market)デビュー。カレールーもサランラップもおいていないこと、肉の売り方が違うこと・・・にショックを受ける。でも、果物/野菜コーナーは愉しかった。いまでも、ジュースはアメリカのもんがおいしいと断言する。

2001年10月
 Cartoon ChannelでCowboy Bebopを知る。
この年のノーベル化学賞が、野依先生、Knowles、Sharpless。お題は、不斉合成触媒プロセスの開発。

2001年11月
 MRS(Materials Research Society)年会で、旧知の技術者(@西海岸、当時は計算化学からさらにはみ出していこうとしていた)に再会し、昼ご飯をごちそうになる。新しく会社を作ろうとしていると打ち明けられた。

2002年 1月
 “アメリカの大学院生は、反応スキームをとにかくあーだこーだ議論したがる。手を動かしてやった方が早いだろうに”(日本人留学生の送別会にて。ちなみに、有機化学のラボの話)

2002年 6月
 妻の恩師(留学経験あり)来宅@ボストン。
“自分は、アメリカ留学から帰国するときに、勉強法は捨てようと思った”真意は、膨大なテキストの読解量をこなすのではなく、一つのテキストを深読みする、というスタイルを指向した、ということ。(だと思う)

2002年 7月
“彼の英語はいまいちねえ。冠詞の使い方がなってないじゃない”
ちなみに、彼=米国の大学のfull Professor(アジア系)。発言主はスペイン人の大学院生。セミナー後の会話。
 なお、これに似たバージョンでこんな会話もあった。
“tomoyaの英語は、私の日本語より上手だ”(inoueと、留学の受け入れ先の先生との会話。ただし2004年頃。)

2002年 9月
 この頃までには英語コンプレックスがかなり解消。レベルはともかく、言いたいことをいうようになる。一念発起して、学部生の“熱/物質移動”の講義を聴講する・・・何せ、前年は大学院生向けの講義だったうえ、長時間の英語に耐えられず撃沈していたもので。

2002年10月
 実験がはかどり出す。“cool!”といわれるような結果も出だす。
企業派遣の留学が、2年であることの恩恵を知る。
 apple pickingに行く。

2002年10月末
 “赤ちゃんの性別、知りたい?女の子よ、女の子!”
(かかりつけの産婦人科にて)

2002年11月
 apple ciderとクランベリージュースの味を覚えた・・・が、クランベリージュースは、砂糖をべたべたに入れたなれの果てとあとで知る。
 調子に乗ってクランベリー(生)を買う。レジで、“おまえ、これ食べるのか?”と目を丸くされ、あとでその意味を知った(@Bread and Circus)。
 秋、深まる。

 
2002年11月、Thanksgivingの日
 妻の友人宅にThanksgivingでお呼ばれ。七面鳥の丸焼きを食す。たしか・・・雪だった・・・

2002年12月
 MRS年会期間中にも雪が降る。この冬は雪の当たり年(含む学校閉鎖)で、前年は凍らなかったCharles Riverも凍結した。

続く