英語の世紀

 梅田のエントリーdankogaiのエントリー(梅田エントリーからリンクして購入したのだが)に触発され、↓を購入、読了した。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

 英語の世紀、inoueには無縁ではない。研究を生業とすることがあり、英語で論文を書くことは職業柄であるし、論文のコンテンツの新規性についてはどうしても英語の論文が優先する。教育の受け方によるのであろうが、論文を日本語で書く、ことについてむしろ違和感を覚えることもある。(どっちも遅筆なのでどっこいどっこいか・・・)そういう意味では、

すべての言葉のさらに上にある、世界全域で流通する言葉が生まれたということである。(p.49)

という水村の実感は、inoueが学部4年生となってこの道に入ったときからどっぷりその世界につかっている。おそらく、文学を生業とする水村以上に。
 余談であるが、inoueは大学のjunior時代、ドイツ語を第2外国語として選択していた。化学を専攻しようと漠然と思っていたことと無縁ではない。入れあげかたのちがいはあれ、水村のフランス語に相通ずるものがあろう。同時にそのドイツ語の地位が、

まあ、ようこそ、いらっしゃいました(p.85)

の地位にあることを実感するのにもそれほど時間を要しなかった。したがって本書に同意、意識を共有できる部分は多い=とくに英語の普遍語としての力、日本語との力関係についての現状認識についての実感はかなり近いと行ってよい。ただし、これは本書のコンテンツの3分の1にすぎない。