[書評]ケンブリッジの卵


ケンブリッジの卵―回る卵はなぜ立ち上がりジャンプするのか


 おもちゃと古典物理は、実は切っても切れない関係がある。ゆで卵にせよ、オイラーディスクにせよ、現象は知っていても、それをきっちり古典物理で説明できるべきところがなかなかできなったのである。だから、解ければNatureにだって掲載されるわけだ。それこそinoueが学生の頃、戸田盛和が、”おもちゃの科学”を数学セミナーに連載していたことを思い出す。
 本日のお題だと、たとえばブーメランがその例であった。あれは垂直方向にスピンをかけて曲げるが、いつの間にかそれが水平方向の回転となり、さらには自分のところに“戻って”くる。垂直→水平の変化はジャイロ効果で説明できるが、“戻る”部分の理解は、まさに羽の後ろの部分で生じる“乱流”を解かなければならず、難しいという話であった。

 さて・・・この本もまた大きく2つの内容からなる。一つはたまごの立つ話、もう一つはたまごのジャンプする話である。
 じつは下村は、たまごのテーマをやりにケンブリッジ大に留学したわけではなかった。本人の専門は流体力学であり、Moffattとの研究は元々予定されていたものではなかった。ただ、当初の目的の流体力学関連のテーマでは思ったような成果が出せず、たまごのテーマはMoffattの講演を聴いたところからたまたま始まったのである。雑談の中で、下村は“運がよかった”といったが、なるほどこのテーマに突き当たったいきさつだけをいうならば、“運がよかった”のだろう。そのあとの難問の攻略や、共同研究者であるMoffattを“やる気にさせた”熱意は、運がよかったですむ話ではあるまい。悪戦苦闘の末、たまごが“立つ”ことを記述する”ジャイロスコピック解”にたどり着くのである。これがNatureの記事の骨子である。
 さて、下村はこのジャイロスコピック解を用いてたまごの回転のシミュレーションした。そこで、シミュレーションにおいて“異常終了”に出会い、これがたまごのジャンプの予言につながっている。ささやかな事象ながらも、この“予言”ことが物理の醍醐味であるとinoueは思う。
 後半は、ここで予言した“ジャンプ”を実際にとらえるための慶應チームのたたかいの記録となっている。下村はさらりと書いているが、いわば“基礎教育”への貢献を求められる場所での研究であったために、それなりの苦労はあったであろうことをinoueは推察する。(ただ・・・理工学部で、大学院生をかかえる研究室でこのような古典的な力学の研究ができたかというと、それもまた疑問ではあるが。)この研究は、Proc. Royal Soc.への論文発表というかたちで結実した。
 
 本書は、下村の関わったこれら2つの、古典的ではあるがきわめて内容の豊かな研究がいかに遂行されたか、という記録である。下村の最後の結びである”不思議に気づくこと”“力を合わせること”“自分に誠実であること””わかりやすく説明すること”を結びとしているが、このテーマに突き当たる“機会”を提供したのがケンブリッジ大に他ならなかったという懐の深さ(ほかでは難しかったのではないだろうか)、そして、その機会を最大限に活かしきった下村の力量に敬意を表したい。