この二ヶ月の総ざらえ

 なにやら、”なつやすみのえにっき”をあわてて仕上げるようなノリだが、忘備録として。

6月下旬 審査準備スタート。
 inoueは、さる研究機関の”任期付研究員”の身分であった。必要書類をあわてて準備を始める。締め切りまで1週間。集中準備、短期決戦のつもりであった。周りから見れば準備不足は否めなかっただろう。査読してもらいたい資料は速めに送る。言い換えれば、締め切りから逆算して仕事を行うことの大切さを、どつかれて認識する。

7月上旬から中旬 審査会準備
 これまた同僚、上司に平身低頭で準備に付き合っていただく。準備期間が2週間近くあったこともあり、久しぶりに”せりふ丸暗記”に近いプレゼン準備を行う。あいまに論文投稿と、戻ってきた邦文総説の手直しと、学会の口頭発表(7月30日)準備。30日の発表資料を今送るんですかい?と突っ込みつつ、実はすでに締め切りを10日おとしていたりした。
 第一次審査直前に久しぶりに映画を見に行き、”あいつも“たった”なあ・・・”と感慨にふけりつつ、わが身を引き締め(たつもり)。それにしても、自分の趣味の映画を見に行くなんて、独身のとき以来だ・・・

7月18日 第一次審査
 必要書類の準備に比べれば完成度の高い状態で公開審査に挑めた・・・と思ったが、質疑応答で課題を残してしまった。inoueはこんなに融通の利かん人間であったか・・・と、やや自分にあきれつつも、連休直前とあってワインを同僚・上司と飲んでいい気になる。

7月25日まで 第二次審査準備
 上司から懇切丁寧な指導を受けつつ資料を作成する。こんな資料も自分で作れないのかと、ちょっと情けなくなる。

7月25日〜7月28日
 学会準備。2件ポスター作成。審査のことはみごとにあたまから抜けていた。立派な逃避ですな。
学会準備のほか、土曜日には家族が旅行に行く見送りで自宅から空港往復。28日には、自宅から職場(単身赴任先)にポスター打ち出しに行き、ポスターを抱えて学会の行われる京都に駆けつける、というわれながらの快(愚)挙を成し遂げる。なぜ快挙か?一日の新幹線での移動距離が1000キロ行ったんじゃないか?新横浜→仙台→京都をやらかしたわけで。とにかく”動きまくった”2日間だった。

7月29日〜30日
 学会。29日は、本命の講演を寝坊して聞き逃したorz。しかし・・・Kさんにお目にかかることができた。Kさんの”アメリカでの学位取得記”、雑誌で毎号楽しみにしていた。この話は場所を改めてもう一度書く。

7月31日
 再び審査モード・・・だが、頭が見事に戻っておらず、準備に付き合っていただいた同僚・上司からはぼこぼこにされる羽目に。振り返れば、この”25日〜30日”の頭の中の空白が尾を引くことになってしまった。

8月4日
 第二次審査。プレゼンはともかく、後の質疑応答で火だるまとなるorzorz。しかし・・・審査は終わった。この火だるまの代償があとでまわってきた。

8月中旬
 お休み。旅先で家族に合流する(@Meiguo)。しかし・・・飛行機は高い。ボーナスがとんだ。それから、このお休みの初日には留学時の師匠にお昼をご馳走になったのだが、自分の英語のあまりの下手さ加減にわれながら呆れる。にもかかわらず、しこたま本を買い込む。家族より一足先に帰国し、学会発表準備。

8月23日
 発表。30分の英語でのプレゼン。ちなみにこれは”ポストシンポジウム”というもので、ほかの参加者は本会議で頭が勉強モードになっていたのだが、inoueは頭が夏休みから十分に復帰できておらず、”英語でプレゼン・ルー風味”といった感じ。他の参加者はともかく、inoueにとってはとても”ためになった”。バンケットでは中国からの参加者と同席。あやしげなHan-Ying-Yuで会話する。発音がうまいとほめられた。中学のときの英語以来だ。

8月29日
 上司から”至急センター長に連絡を取る”よう指示。すわ、火だるまになったツケを払わなければならなくなったか、とセンター長に出張先から電話を入れる。職探しをどうするか、考えなければ・・・

結論:合格。これで”任期付”が取れ、いいかえれば”みなし”常勤から”みなし”がとれることが内定した。が・・・火だるまになったせいで、じつは首の皮一枚だったらしいと聞く。謹んでセンター長の訓示(?)を電話口で拝聴する。こうして、inoueの”審査の季節”は終わった。

教訓:1)こういう”審査”にあっては、緊張を途切れさせないこと。2)英語はつねにみがいておくこと。