鎌倉に行ってきた

 inoueは鎌倉育ちである。とはいっても、40年前に開発された新興住宅地育ちではあるが。齢40を目前にして、はたして、40年前に開発された住宅地が”新興住宅地”だろうかと思ってしまうが、鎌倉開府800年(+α)に較べればはるかに新興であろう。
 ふと思い立って鎌倉に行った理由は、ない。しいて言えば、下の3つの記事になんとなく刺激されたくらいか。

大隅典子の仙台通信:内宮を渡る風さやか
脳梗塞闘病記(3)ありがとう(日々に感動を):417.鎌倉八幡宮ぼんぼり祭り
脳梗塞闘病記(3)ありがとう(日々に感動を):286.北鎌倉・喫茶店「笛」

 白状すると、久しぶりに(=20年?いや、9年前にいった気がする)”笛”に行きたかった。鎌倉に住んでいたころ、ちょくちょく行っていたのである。そこで書き物などできればいいなと思い、PCかかえて横浜から南下した。
 ちなみに、笛はなんと”夏休み”orz。仕方がないので円覚寺に行き、子供のころ行かなかったであろう黄梅院までのぼってから鎌倉に出た。たしか、平山郁夫の絵で師匠の前田青邨を追悼した絵があったと思うが、あれは円覚寺ではなかったか。今は亡き小島寅雄もこの辺に住んでいたはずである。鎌倉はやはり”住む”ところであると実感。円覚寺の木の太さ・高さ、そして岩肌に鎌倉を感じる。

 鎌倉に出て、八幡宮のぼんぼりを通過して(入り口のぼんぼりが何で宮崎緑なんだろう?ほか、有名人は当然多数。)荏柄天神まで。


そういえば大隅典子のいう八幡宮の裏手の中学とは、横国付属のことに違いない。荏柄天神では、D論を書いているヨメのために札をもらう。
 20年も(そう、それだけ経っていたのだ)経つと、”あの店、つぶれたんだ・・・”も少なくない。若宮大路小町通りの店の入れ替わりが激しいのは当たり前として、子供のころ(あるいは学生時代)あった店が茅屋と化していたり、あるいは駐車場になっていたりしているのを見ると、ときの流れやら、思い出やら、つぶさずに”経営”することの難しさやらを感じて感慨深くなってしまった。

 今、これを書いているのは鎌倉宮の近くの喫茶店。(アップしたのは家に帰ってからである。念のため)”笛”があいていなかったためにここまで来たが、年代モノの柱時計が時を刻む雰囲気が何ともレトロ。

 ”笛”には、またで直すこととしよう。