G. Ertlのノーベル化学賞受賞

 遅ればせながら、inoueも化学に携わる身なので駄文をものす。

"for his studies of chemical processes on solid surfaces"
A Nobel Birthday Surprise

 Ertlの受賞、今年はずいぶん地味な分野に当たったものよと思いつつ、inoueにとってかなり感慨深い。inoueが学生のとき、Ertlが日本国際賞を受賞したのだが、当時いた研究室がまさに表面化学(表面化学+化学反応)を専攻していたところであったので、Ertlはヒーローのひとりであった。当時、師匠が”この分野でノーベル賞をとる人がいるとすればErtlとSomorjai(ことしACSのPriestley Medalを受賞した)だろう”と言っていたのを思い出す。有機化学美術館・分館のエントリーにもあったが、大学で化学の研究に携わっている人々にとって、ノーベル賞はあながち他人事ではないのである。

 今回の受賞理由は大きく3つに分けられるようである。いずれも金属単結晶表面で、という枕詞がつくが、一つ目は水素化反応中、水素が文字通り表面で解離して原子上になっていることを見つけたこと。もうひとつが鉄触媒上のアンモニア合成反応の素過程の解明を、単結晶表面を用いることで文字通り原子レベルで記述できたこと。このときに確立した研究手法が、表面化学の一種のスタンダードとなって”表面化学”という研究分野が生まれたといってよい。さらに駄目押しは、白金単結晶上のCO酸化反応について、表面上のdipoleを観察できる分光法を開発し、文字通りリアルタイムで表面が“動いている”ことを観察できたことであろう。ちなみにアンモニア合成プロセス(窒素と水素からアンモニアを合成するHaber-Boschプロセス、これが肥料原料の合成プロセスとして紹介されているものである)の開発で、Haberはノーベル賞を受賞している。このプロセスが現在の大BASFの礎となっていることを思い合わせると、テーマの設定もさすがにドイツ人らしいなあとなんだかほほえましい。

 心当たりのある新聞を眺め読みしてみると、”なんでSomorjaiが受賞しなかったんだ?”という意見がちらほら見られるようだが、表面が”動いて”いるのをvividに捉えられた点でErtlに軍配を上げたのではないかとかんぐっている。なお、日本の新聞は、外国人の受賞になるとなんかとおりいっぺんの解説で冷たいorz。政治だ何だといったところで、ノーベル賞はお祭りなんだからもちょっと祝ってあげてもよいだろうに。NYTimesの記事といい、C&ENの記事(まあこっちはACSなんだから当然だが・・・)といい、アメリカの文屋さんたちのほうがサイエンスをはるかにリスペクトしているように感じる。もっとも、下の一連の新聞にしても、他の受賞対象(ノックアウトマウスなど)に較べたらかなり扱いが地味であったことは否まないが。

German wins Nobel chemistry prize

Nobel in Chemistry Honors Expert on Surface Encounters

“表面文章”

 今回の受賞は、inoueにとってわりかた縁の深い分野であったので、新聞から文献に至るまで他人の仕事ながら久しぶりにいろいろ漁った。アンモニア合成の素過程に関する一連の研究は、いま見てもえらい仕事であるとinoueは思う。Ertlの研究は、自ら装置を立ち上げることではじめて実現できる性質のものが多い。受賞理由にしてしまうと”ああ、そんだけなしごとなのね”と思ってしまうが、これら一連の実験はまず超高真空(10^-10 Torr)の使用が大前提である。それだけの真空を世界に先駆けて準備するのは、かなりしんどかったはずである。またさらに、そのうえでの化学種の計測を行うには、それなりの感度を要するうえ、さらに表面の動的観察を行うのに要した新しい分光法の開発のしんどさは並大抵のものではない。なんでもそうだが、できるかどうかわからないしんどさと、できるとわかってからのしんどさは質がまったく異なるものである。Ertlの研究グループは世界に先駆けてそれをやり抜ける知力と馬力を持ったところだったのだろう。したがってそういうしんどさを乗り越えて表面化学を”サイエンス”にしたErtlらの功績は、確かにノーベル賞に値しよう。(Ertlの単独受賞にしなくてもいいじゃん、とは思うものの)

 とは言いながら、それが新触媒の開発にどれだけの影響があったか、という点ではinoueはかなり懐疑的である。なるほど、触媒開発に当たっての仮説はより強化されたかもしれない。めくらで研究開発を行うのと、反応のイメージ(固体触媒の開発を行うものは、よくこういう言い方をする)を持って触媒開発を行うのでは開発のスピードに若干差が出るだろう、くらいの。しかし、膨大なtrial and errorを繰り返さなければならない点は、それこそHaber-Boschの時代から大して変わっていないのではないだろうか。排ガス浄化や石油化学プロセスに見られるように、触媒を用いたプロセスは、地味ながらも技術的に高度に発達してきた。それを解釈するための科学的なバックグラウンドも、今回の受賞をはじめそこそこ整ってきた。もうそろそろこれらが有機的に連動する機ならば熟しつつあるのかもしれない・・・というのが、今回の受賞の実用的な波及効果であると授賞を決めた人たちは言いたいのだろうけれど。