創業者と経営者と

 最新号のフォーサイトで、梅田の”GoogleがPostiniを$625milで買収”エントリーの詳細記事を読んだ。ブログだけなら、”あ、すごいねえ”で済む話になってしまうところであったが、この記事を読んでどう感慨深かったのかがはじめてわかった気がした。思わせぶりな書き方で恐縮だが、ここでは詳細は触れないでおく。

 表題の件、たとえば以前inoueはNoyceとGroveの違いをものしたが、会社の起業→社業の発展に限った話ではない。会社を国に置き換えれば政治家にも通じる話である。日本でいえば、明治の元勲は創業者の役回りであっただろうし、お隣の中国で言えば毛沢東などはそのいい例であろう。古代ローマならさしずめカエサルか。
 創業者がそのまま経営してうまくいくこともあるが、往々にして失敗することも多い。これが政治ともなると、時としてとんでもないことが起こるんだなあ、と思ったのはテレビでやっていた文革のドキュメンタリーを見ながらであった。と同時に、この”創業者と経営者”という図式での捉え方は案外ツブシが利くんじゃないかと一人悦に入っていた。マキャベリもそんなこといっていたような気がするなあ。

 inoueが縁のあるエンジニアの世界でも、創業者と経営者の違いはある。技術屋はよく”ゼロをイチにする””1を100にする”という例えをするが、創業者はさしずめ”ゼロをイチにする”ひと、経営者は”1を100にする”ひとである。(本当は1と100のあいだはもっと細かく区切るものだけれど)
 どちらもできるというのは、本当に偉い人か、あるいはそう自分で思い込んでいるだけかいずれかである。そして不幸なことに、前者は圧倒的に少ない。
 そういうinoueはいかに。自らを知るのは案外難しい。

 話は変わって、件のフォーサイトの記事の中には、梅田のサバティカル・プランの話が少し出ていた。
 inoueは以前、Feynmanの自伝のなかで古きよきサバティカルの話を読んだことがあった。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

(たしかFeynmanはサバティカルを利用してバイオの研究を手がけたはず。なんとのどかなことよ)ただ、inoueの身の回りの例をみていると、きょうびのアメリカの大学の先生にとって、”サバティカル=授業の義務がないこと”まで矮小化している例が少なくないようである。梅田はどうするのだろう。