中田英寿の生きかた

 あれから1年以上が過ぎた。そして“新生”日本代表がアジアカップ連覇を逃してしまった。まさにこのタイミングで出会った一冊。inoueにとっていわば背筋を正す本。

中田英寿 誇り

中田英寿 誇り

 中田のこれまでの人生が極めて濃密であって、かつそれが小松成美の取材によりたくみにつむぎだされているからだろう。プロスポーツ選手は、競技においてもっとも雄弁だからである。本書はサッカー論としても、人生論としても、はたまたサバイバル論としても読めるようになっている。自らの人生をこれほど戦略的に生きているおとこはそれほどいるものではないから。オシムの言葉に、オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える(こうのたまうのはオシムに限るまいが)、といった言葉があったが、それを地でいくような仕上がりになっているとinoueは思う。

 中田はペルージアに移籍してから、自分にとっての理想的な天地を求めて移籍を繰り返してきた。自分のスキルを最大限に発揮できる場所を求めて移籍を繰り返す、そして移籍のオファーが途切れないよう成果を出す、そのためのmuddle throughをいとわない生き方は、梅田のブログでいつぞや話題となったサバイバルにも通じるところがあるだろう。また、日本代表にあってとことん勝利にこだわり、そのためのベストを尽くすことをいとわなかった点について、中田は最も“熱い”部類に属したメンバーであったと思う。inoueにはおおよそ無縁のプレッシャーの中で成果を出し続け、全力でプロ人生を駆け抜けた生き方は、サムライであったと思う。

 とはいいながら、中田はなんと不器用な漢であったことか。

 移籍の原因はたとえばオーナーとの確執であったり、レギュラー争いに敗れたことであったり、あるいは監督との確執であった。振り返ってみれば、中田が最も輝いたのはASローマスクデットを獲得した2000−01シーズンだったのではないか。そののちに浮沈を=いいときも、悪いときもあったわけだが=繰り返すうちに、徐々に引退願望がおりのようにたまっていった。日本代表にあっては、2006年ワールドカップにおいてはチームの中で浮きがちな存在になってしまった。このときに日本代表の中で感じたもろもろの怒り、フラストレーションが本書の中で吐露されるのだが、サッカーが11人のチームで行うスポーツであることがまさに思い知らされる。
 中田は結果を出すことに対し常にストイックであり、周囲が“そこまでやらなくても・・・”と思うこと多々あったという。人間中田の魅力のひとつでもあろう。しかしこのストイシズムがたとえば故障を長引かせる要因ともなってしまい、日本代表にあっては自らの周りに壁をつくる要因にもなってしまった。これが中田のプロサッカー選手としてのモチベーションを短命に終わらせ、“まだやれる”うちの引退に結びついてしまったといえるのではないか。やはり疲れてしまったのだろう。梅田節的に言えば、“好き”をつらぬく前提は、“好き”でありつづことでしかないが、中田の性格は、結果的にそれを妨げてしまったといえまいか。オシムの言うところの“美のために死を選ぶ”生きかた、とはこういうことだったんだと、inoueはいまさらながら納得している。
 中田が引退を決意するに至った理由には、外的な要因ももちろん大きい。チームスポーツであるがゆえに監督のスタイルは決定的である。おそらく中田を正当に評価した監督はマッツォーネ(ペルージア→ボローニャ)、ジーコ、そして実はトルシエだったのではないか。中田がもし、マッツォーネのもとで長くいられたならば、少なくともまだプロ引退には至っていなかったであろう。ジーコと中田が良好な関係にあったことはいうまでもないが、ただゲーム作りにおいて、“中田が自由に動ける環境”を提供していた点において、inoueはむしろトルシエを買う。ただ、サッカーのようなチームスポーツで、ある特定の選手にオーセンティシティを与えるというのはかなりリスキーなことではあると思うけれど。

 中田は未だ、旅の途上である。心身とも疲れ果ててユニホームを脱いだ直後と較べて、明らかにサッカーの別の側面、すなわち万国共通語としてのサッカーを再発見しているふしがある。現状では日本のプロサッカーへのコミットはないと思うがサッカーをベースにした何らかの社会起業家的な生き方に向かう気配ならば感じられる。数年後の中田は何を目指しているのだろうか。

 余談ながら・・・競技人口が野球よりも圧倒的に多いサッカーが、非英語圏のスポーツである、というのはなんかおもしろいなあと思う。とくにこういうエントリーを見て納得してしまったあとでは。