今年の10冊

 [書評] 今年の10冊

 今年の備忘録の1つとして、今年読んで印象に残った本をものす。
1.かまくら子ども風土記
 inoueの小学校時代の愛読書の1つ。当時はB6版の4分冊だった。鎌倉駅前の島森書店で購入。
いまこのエントリを書いているときに気づいたのだが、amazonその他では購入できないみたい。
 読み直してみたら・・・あんまりinoueが子どもの頃と内容は変わっていなかった。

2.ぼくは日本兵だった

ぼくは日本兵だった

ぼくは日本兵だった

 inoueが中学生だった頃、「百万人の英語」というラジオ番組があった。そこでのキーマンの一人がJ. B. Harris氏。
30年を経てamazonで購入。(当然中古ですね)・・・想像を超えた良書でした。下々にとっての戦争、中国人の対日感情(Harris氏は中国に派兵されたので)、敗戦後の旧友(戦時中は敵)との再開・・・彼ならではの経験がてらいもなく描写されていた。なかなか復刊にはならないと思うが、復刊されて欲しい本。

3.フランクリン自伝

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

 今年は公私共々の事情でアメリカに行く機会の多い年だった。そのなかで読んだ本。本の表紙で「今日のアメリカを理解するためにも・・・」とあったが、アメリカ人がなにを美徳と心得るかを知る良書だと思う。

4.Rumsfeld's Rules

Rumsfeld's Rules: Leadership Lessons in Business, Politics, War, and Life

Rumsfeld's Rules: Leadership Lessons in Business, Politics, War, and Life

 史上最年少と最高齢のアメリカ国防長官、おまけにイラクの状態悪化を受けて事実上解任された人による「箴言集」。なので新聞の書評などだといまひとつ評判がよくないが、inoueは尊敬できるアメリカ人の一人だと思っているし、amazonの書評も新聞などのものに較べると受けがいいように見える。(inoueのアメリカの知人は「ええっ!?」というかもしれない)海軍→議員→政権スタッフ→国防長官→企業重役→中東特使→・・・→国防長官、という経歴もアメリカならではだと思う。この本のスタイルは氏の箴言と、そのもとになったエピソードが織り交ぜられていて楽しい。なお、inoueのもっとも好きな箴言はこれである。

Beware when an idea is promoted as "bold, innovative, and new. (p. 276)ただこの箴言、じつは続きが。

  • There are many ideas that are “bold, exciting, innovative and new,” but also foolish.

 inoueも、Rumsfeldが研究には向かないだろうことは認めよう。未読了。

5.Robert Oppenheimer

Robert Oppenheimer: A Life Inside the Center

Robert Oppenheimer: A Life Inside the Center

 アメリカで購入。しばらくはしゃかりきになって読んでいたけれどもやはり未読了。
 前半部分は、Oppenheimerの生い立ちと、彼がキャリアを築いていくのと同時進行であった量子力学が構築されていくさまがvividに描かれている。この書きぶりは脱帽ものであるし、たぶん本書の1つのテーマ。次のテーマは当然マンハッタン=プロジェクト、そして最後は赤狩りで中枢からいわば放逐されていくところがテーマだ(と思う)。何せ未読了なので。
 学生の頃読んだ「スピンはめぐる(朝永振一郎)」をおもいだしながら読んだ。inoueのような化学屋にとってBorn-Oppenheimer近似、って量子化学の基礎的な近似なんだけど、このOppenheimerがまさにその人。

6.Reinventing the Automobile

 これもアメリカで購入。じつは購入したときにmedia labを訪問したんだけど、そのときレーザーカッターと3D printerというdigital fabを駆使して本書のスマート・カーのプロトタイピングを行っていたのが印象に残ったので。この本を購入したときに期待したのは、こういうプロトタイピングのプロセスだったんだけど、もちろんそれにとどまる本ではなかった。都市のデザインと、その中にあるべき車のデザインの提案、といったところ。
 なお、著者のMitchell教授は最近亡くなったが、別の本でMITのキャンパスデザインにもかかわっていたことを別の本で知って驚いた。神の愛でし人、だったのだろうか。

7.紅の党

紅の党 完全版 (朝日文庫)

紅の党 完全版 (朝日文庫)

 胡錦濤体制から習近平体制への移行は、一見平和裏に行われたもののすさまじい権力闘争が外部からも垣間見えた、という意味ではこれまでにない政権交代だった。それを枕にして、中国共産党を朝日新聞の総力を挙げて取材した成果。朝日新聞ならではの取材ができているという意味でも好著だと思う。

8.福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書
 技術者としては必読だと思いつつ読めていなかったのだが、遅ればせながら通読した。何回か読み直す必要があると思う。東電が取材(聴取)に応じなかったのが何とも残念。inoueにとって電子書籍がありがたいと思った反面、ディスカヴァー・トゥエンティワンからしか出ていないというのも残念。国会事故調も読まなきゃ・・・と思いつつ、こちらはまだダウンロードしただけ。
 カウントダウン・メルトダウンも一気に読了。ドキュメンタリーなので読みやすいが、やはり技術者としては報告書を読まなきゃと。

カウントダウン・メルトダウン 上

カウントダウン・メルトダウン 上

カウントダウン・メルトダウン 下

カウントダウン・メルトダウン 下

9.桜の園・三人兄弟

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

 11月にさる講演会を聞きに行ったら、media labの准教授のNeri Oxmanの講演があった。(林 千晶のいうところの「美人すぎる大学教授」である。)彼女に「技術と人間の関わり方が、今後どうなっていくのか」という質問をしたときの彼女の答えが「チェホフを読め」だった。inoueは小説はしばらく、というかかなり遠ざかっていたのだが、「頭のいい美人のいうことは無条件に受け入れる」ということで読んだ。他のロシア作家と較べて、チェホフは読んでて愉しい。

10.エネルギー問題の誤解 いまそれを解く

 311以降、エネルギー供給の将来をどう考えるかについて未だに考えがまとまらない。なのでいろいろ読んだが、そのなかでも一番納得のできた本。エネルギーは供給に至るまでのシステムとして考えなければならない、という視点は当たり前かもしれないが、これまでinoueの考えにはなかった。

英語のプレゼンを準備するハウ・ツー

 id:tsugo-tsugoのエントリに触発された。

英語のプレゼンのこつ(理工系用)

 inoueが学会で見たプレゼン見聞、自分でやるようになってからのプレゼンの経験から、泥縄式、じっくり式、いずれも3点にまとめてみる。なお、inoueの業界は化学・化学工学である。

泥縄式

I.フォーマットに従って、ストーリーを作る
 フォーマット、というのはこういうこと
 1.タイトル
 2.Background/Objective:自分の扱う問題(研究目的・背景)を、聴衆のレベルにあわせて提起する。
 3.Goal:プレゼンする研究において、到達すべき目標を提示する。(ストーリーとしては、結論の部分で“ゴールを達成しました、めでたしめでたし”で終わらす)
 4.Outline:(プレゼンの話の流れ)を提示する。
 5.Body(ここからは本題に入ります)・・・・5.の中で、自分がoutlineのどこを話しているのか、適宜反復するとよい。
 6.Summary/Conclusion/Outlook:“ゴールを達成しました。めでたしめでたし。(あとはこんなことをやろうと思います)”
 7.Acknowledgment:この研究に○○がお金をくれました。この研究の△△の部分は、××さんに助けてもらいました。(“××、は、共同研究者でないが、触れておくべき人のことを示す。)

 学会発表で、とくに英語によるプレゼンを行う場合、話さなければならない時間はだいたい15分〜20分(場合によってはそれ以上)。自分の話す中身もさることながら、それ以上にイントロに気を遣った方が、聞き手としてはわかった気分になれる。
 ポスター紹介のショートプレゼンであれば、1→2+3(これを1枚のスライド)→5(一番見せたいデータ)→6という流れ。


II.スライドでは、極力“絵”をして語らしめる。説明文・コメントは簡潔に、ポイントを突くように書く
 1スライドあたり1枚の絵を使うようにし、かつ、スライドあたり主張したいことは、できればひとつだけにしぼる。なお、字のサイズについて、“大小の字が混在すると、見づらくてそれだけで聴く気がなくなる”という人もいた(3種類、が限度だそうである)表題、主張、注釈に分ける、といったところか。
 スライドの数はだいたい、1枚/分。


III.とにかく、少なくとも5回は通しで練習する
 練習の数は、多いほどよい。英語が苦手、と自覚するのであればなおのこと。原稿を作り、その通りに読んでみて、blind(原稿を持たずに、ということ)でやってみて・・・と繰り返していると、だんだん簡潔な言い回しに落ち着くはず。(これがid:tsugo-tsugoのいうところの“中学生レベルの、バカ正直なまでに単純な言い方”だと思う)

 inoueが留学していた大学に、NAS、(米国科学アカデミー)NAE、(同工学アカデミー)、Institute of Medicine of NAS(訳語を知らない・・・)の3つの会員、というやんごとなき御方があった。その方が、“Facultyになってはじめての学会発表(だったと思う)は、3週間前から練習していた”と学内のさる講演で述べていたのがとても印象に残っている。

 以上、泥縄式でした。

 つぎに、じっくり式。

i.英語くらい、話せるようにしよう
 発音がnativeらしくないのは、許容される。Kissingerの英語はべたべたにドイツ語なまりだった(松山 幸雄の著書にあったと思う)、という話や、Ayn Randの英語のロシア語なまりがきつかった(杉田 敏が以前そんなことをどこかに書いていた)という話、などなど。文法がおかしい、のも、ネタにはされるが、許容される。
 しかし、“話せない”というのは、知的でない(素直に言えば“バカ”)、と見なされるリスクがある。
 目安としては、TOEIC600以上、英検ならば2級以上、といったところか。どっちも高いにこしたことはない。
 ちなみに、この“英語は、勉強するべきだ”は、何も理工系に限った話ではなさそう。芥川龍之介や、小林秀雄だって同じことを言っている。


ii.人前で話す訓練をしよう
 場数を踏むこと、ですな。話の組み立て方は、万国共通だと思うので、国内の学会は十分に練習の場になる。
 英語でまとまった話をする、となると、たとえばこれ。

英会話なら岡山トーストマスターズ
岡山トーストマスターズクラブのご案内

 アメリカが発祥の地らしい(さすが、話すこと命、の国だなあ)のだが、こういうところで場数を踏むのも、案外いいかもしれない。


iii.頭が真っ白になる経験、をしてみる
 智者は他人の失敗に学び、愚者は自分の失敗に学ぶ、という箴言があるらしいが、いちどはこういう経験があってもよい。しかも、なるべく若いうちに。もちろん、好きこのんでパニクるわけではないと思うが、いったんこの経験をするとあとあと吹っ切れたようになれる。
 ちなみに、inoueのそれは、修論発表だった。よりによってそんなところで・・・と、当時は思ったものだが、いまにして思えば修論発表の場だったからこそよかった、と思っている。プレゼンの出来不出来で、合否が決まるわけではなかったのだから。


 最後に・・・英語のnon-nativeとしては、“中身が大事なのよ、見てくれよりも・・・”と言いたくなることは一再でない。英語で話せるというのも、そういう意味ではハウ・ツーそのものである。しかし・・・

“我々が生きていくためにハウツーは重要であり、軽視してはならない”
(小野田 武(故人)の文から引用)

ぐっど・らっく!

逃げろ、泣きつけ、それからどうやって食っていくか考えろ

 ちょっと時機を逸してしまったが・・・

ネットニュースはリンク切れが多いからこういう形で記録しておく(東北大院生の自殺の件)

 上記エントリー、心構えとしては悪くないが、すぐにとりうる行動としての“対策”よりは、予防策に近い(たぶん、危険予知的に書いたのだと思うけれど)と思ったので。いじめられっ子の対策、と読み替えても良い。

1.逃げろ
“もう、やっていけない”と思ったら、これに限る。いじいじ悩まずに、逃げろ。

2.泣きつけ
 友達のところ、カレ/カノのところ、親のところ、プライドを捨てて“自分にはどうにもならない、助けてくれ”といえ。上記3カ所のうち、どこかはかくまってくれる。

3.それから、ゆっくりどうやって食っていく考えろ
 落ち着いたら、自分のスキルを洗い直して、どうやったら食っていけるか考えろ。そのときにいろんな人の話を聞いてみろ。

4.最後に

Live well. It is greatest revenge. - The Talmud

inoueがアメリカ経験で学んだこと

inoueのアメリカ経験−1
inoueのアメリカ経験−2
inoueのアメリカ経験−3

 まとめに入る。勝間和代ではないが、3点にまとめることにする。

1.英語は、できるにこしたことはない
 "英語の世紀"に尽くされているかもしれないが、強調しすぎてすることはない。
 i.英語の意思疎通ができなければ、滞りのないレベルに、
 ii.意思疎通ができれば、より正確な意思疎通を
 iii.正確な意思疎通ができれば、正確な英語による意思疎通を

 おそらく、留学/業務において、痛い目、悔しい目に多々遭うものと思う(inoueの場合、2001年の12月の経験がもっとも悔しいものとして残っている)。そして、“あのとき、英語さえできれば・・・”くらい、ばかばかしい言い訳はない、とも思う。

 これは、場合によっては職業選択に関わる場合もある。inoueは結局日本に本部機能のあるところからしか給料をもらったことはないが、アメリカで働くする選択をするのであればii.のレベルは必要になるであろうし、とくに言葉にうるさい(含むアカデミア)で生きていくのであればiii.は必須である。グラント申請が“こんな稚拙な英語で・・・”という理由で却下されたくはないではないか。
 勉強の仕方については、いろいろな勉強法があるので省略する。

2.留学/業務の成果に対するビジョンを持つ
 これは、id:tsugo-tsugoも言っていたこと。

 AWESOME FUTURE-Ockham’s Razor for Engineers

 inoueの場合、企業派遣で技術テーマも決まっていたので、短期的にはあまり悩まなかった。それに、留学の場合は、学位取得などがゴールになると思うので言わずもがななのかもしれない。
 ただし、中/長期的なビジョンになると話は別。
 企業留学(とくに技術系)でよく聞く話;
“大枚はたいて、人一人出すけどねえ・・・アメリカ経験で終わるんだよねえ”である。

 企業留学の場合、ただのアメリカ経験で終わらさないための工夫はとても大切である。同時にこれは、かなりむずかしい(だから、なかなかテーマ創出につながらない)ことではある。inoueの場合、この観点で成功したとは言い難いし、強引に活かす道を選んだ、ともいえる。
 この工夫には、サラリーマンの昔ながらの“ホウ/レン/ソウ”にはじまり、会社の成り立ち・風土に対する考察、誰に重点的にインプットするか・・・といったことがかなり大切になってくる。自分の未来に対する留学の位置づけ、考えておくにこしたことはない。
 なお、留学からはじまって商品化に至ったテーマは、決してゼロではない。この点、悲観しすぎることもない。

 inoueの留学の背景のため、話が企業派遣に偏りすぎてしまった・・・が、留学をいかに活かすか、ということはすぐれて個々人が、自分のポジションにあわせて意識した方がよいと思います。はい。

3.アメリカに行ったら、ゴルフをやろう
 最後は、これ。これは、inoueは完全に怠けてしまった。無駄になるかも・・・と思っても、アメリカに行ったらゴルフのセットをそろえるくらいの心構えはあった方がよい、と思う。

 なお、ボストン近郊のローカルバージョンとして、
“Charles River沿いに行くんだったら、ヨットを覚えよう!”というのもあり。どちらも、日本では考えられないような安値で覚えることができる・・・はず。ところによっては、“乗馬”もありかもしれない。

 最後に・・・番外編

4.本当に、日本はこの先ダメなんだろうか?

海外で勉強して働こう-On Off and Beyond

・・・ダメにするには、良いものがありすぎる、のではないか。環境がらみの技術、省エネルギー技術、電池技術(inoueのおさとがわかりますねえ・・・)ダメだ、ダメだと言われつつも、黙々とこういう分野で世界トップレベルの技術を生み出している日本の現場に、謹んで敬意を表する。

Better Place Japan - Exhibition

電気自動車のピットインをみてきた-technophobia
電気自動車の着脱式バッテリー交換ステーション実証実験を見てきた-科学と非科学の迷宮

Inspired by previous blog entries (vide supra), I visited the Exhibition in Yokohama that demonstrated their key elements of EV charging system.

Better Place

(In their website, you can see a picture of their exhibition - only the overview, though)

The demonstration of EV's battery exchange was about half an hour - ca. 20 people (including me - with daughter) attended, which was the final session of that day.
The session began with the introduction by TV, which show why they focused on EV as the solution of "post-petroleum" era. In their introduction, they pointed out that vehicles is responsible for ca. 25 % of total CO2 emission, and their EV solution would give a huge reduction on CO2 emmision. In the introduction, they stressed that they are focusing on the development of the infrastructure rather than EV or battery itself. They offer two types of infrastructure, that is, one is EV charging on-site, and battery exchange is another.
They also briefly introduced their business plan/progress around the world, which said that they will launched their service commercially in Israel and Denmark within 5 years. They have interest in Japan because of the integration of car industry, and technological/historical background on EV development (that is also the reason why they decided to demonstrate their concept for the first time).

After the introduction, the battery exchange was demonstrated twice. EV-car (by Nissan) ran the course (ca. 100 m), and the battery was exchanged for each run. They showed that it took ca. 95 seconds for the exchange, with full automated system (from setting the vehicle, discharging the used battery, putting in fully charged battery, and finish.) The session finished after the demonstration.

I talked with the guy at the exhibition after the demonstration -
1) Weight of the battery? -> ca. 250 kg.
2) How about the difference from the ordinary cars? -> Not so different. One of our key concept is "to achieve the same convenience as the ordinary cars".
3) Battery in detail? -> Will be presented in the press-release in May 13th. Anyway, it is not brand-new one.
4) The business depend on the contents of the resource of the electricity - if you rely on thermal power plant too much, you may come across with the increase of CO2 emmision as the efficiency is better for vehicle engine, how do you think?

  • >I agree with that point. Still, we will first focus on utilising over-produced electricity from renewable energy resources, such as solar, wind, etc. Eventually, we will rely on other electricities in the case we could not afford it. More than that, our customer has funded us because we offer a vision for "post petrol" era.

(Actually, I mentined the advantage of the use of "nuclear power", but he never mentioned it - probably, "Use renewable energy First" is one of their corporate culture.)
5) This project is supported by MOE (Ministry of the Environment). How will other ministries, such as METI, involve?

  • >This project is supported by MOE as it is focusing on the reduction of CO2, and the use of renewable energy. We will have to deal with other ministries as our project proceeds.

I enjoyed talking with you. Thanks for your information, Mr. Better Place!

inoueのアメリカ経験−3

2003年 1月
 入居していたマンションの配管破裂。1日ホテル住まいを余儀なくされる。
 “アタシの友達が弁護士やっててさあ・・・”同じマンションの住人。

2003年 1月
“このごろのアメリカの出入国管理はクレイジーだ”
 インド系の大学院生。

2003年 2月
 “おまえ、またオレの講義聴講するのか・・・聴きたければいいけれど”
 “昨年はよくわからなかった(いや、寝てたんですけどね・・・)ので、もう一度聴きます”
留学受け入れ先の教授の講義を再聴講する。ちなみに、聴講="sit-in"。

2003年 3月
 国際会議エントリー。人生初の国際会議発表を、口頭発表にしようと決断する。

2003年3月22日
 駐在員の規則:“政治的な集会等が行われているところに、近づかないこと”
・・・生活空間なのに、どうしろと?
 まずはこれ、“さすがアメリカ”と思っていたら・・・

"U. S. A! U. S. A!"・・・わかりづらいが、この人たちは、“兵隊さんに感謝しよう”とデモしている。


・・・何も言うことはないですね。さすが、マサチューセッツ

2003年 4月
 娘生まれる。
“Caesarianじゃなかったら、出産後の病院滞在時間は48時間まで”
 病院規則。

2003年 6月
 一時帰国。帰任予定先などへ挨拶。

2003年 8月
 家族の帰国まで1ヶ月を切る。慌てて近場で方々旅行ドライブ/散歩に出かける。

@Sudbury, MA

@Harvard Yard
 この頃から、10時にラボに行く→18時頃にいったん帰る→9時頃にまたラボに行く→2時頃に帰る、がルーチンになる。

2003年 8月中旬
“私たちはBushを支持しているの。だって、私たちのことを考えてくれているんですもの”
 あるユダヤ系の婦人。披露宴(2002年8月に、ボストンの友人/知人を招いて行った)写真/ビデオで世話になった。

2003年 9月上旬
 国際会議発表の予聴会。準備不足でぼろぼろ。ボスはかなりひやひやした・・・はずである。ただ、いかにぼろぼろ“全然ダメだ!”ではなく、“これとあれは良かった。あそこはこうすると良い”というアドバイス法。まあ、inoueがボスから給与をもらう身であったら“おまえは、クビだ!”と言われたかもしれない、といまならばいえる。

2003年 9月9日
 国際会議発表@スイス。本番では15分の原稿を覚えて一気にしゃべった。“何事も、締め切りまでには何とかなる”ことを覚える。

2003年 9月13日〜14日
 一足先に帰国する妻と子供が挨拶回り&apple picking。

 これは当時のラボのホワイトボード。(inoueが描いたものではない。念のため)

2003年 9月中旬から下旬
 撤収作業(家具売り払い、車売り払い、マンション撤収)と実験と。1日が30時間くらいはほしかった。

2003年10月1日
 最後の測定を、2003年10月1日早朝に終える。この日に見た朝日がとても感慨深かった・・・が、カメラのメモリを読み違えて、これはinoueの記憶にのみとどまっている。
 ボストンを去る。ただし、乗り継ぎトラブルでシカゴで一泊。夕方は10℃くらい。とても寒かった。

2003年10月3日
 日本着。アメリカ滞在が終わった。


・・・追記
2004年 7月
 現在の職場に移る。

2005年 1月
“I am not a US citizen but I was praying for Kerry.”
 クリスマスメッセージ。ボストンのさる知り合いの先生より。

・・・次でけりをつける予定。

inoueのアメリカ経験−2

2001年 8月
 スタマ(Star Market)デビュー。カレールーもサランラップもおいていないこと、肉の売り方が違うこと・・・にショックを受ける。でも、果物/野菜コーナーは愉しかった。いまでも、ジュースはアメリカのもんがおいしいと断言する。

2001年10月
 Cartoon ChannelでCowboy Bebopを知る。
この年のノーベル化学賞が、野依先生、Knowles、Sharpless。お題は、不斉合成触媒プロセスの開発。

2001年11月
 MRS(Materials Research Society)年会で、旧知の技術者(@西海岸、当時は計算化学からさらにはみ出していこうとしていた)に再会し、昼ご飯をごちそうになる。新しく会社を作ろうとしていると打ち明けられた。

2002年 1月
 “アメリカの大学院生は、反応スキームをとにかくあーだこーだ議論したがる。手を動かしてやった方が早いだろうに”(日本人留学生の送別会にて。ちなみに、有機化学のラボの話)

2002年 6月
 妻の恩師(留学経験あり)来宅@ボストン。
“自分は、アメリカ留学から帰国するときに、勉強法は捨てようと思った”真意は、膨大なテキストの読解量をこなすのではなく、一つのテキストを深読みする、というスタイルを指向した、ということ。(だと思う)

2002年 7月
“彼の英語はいまいちねえ。冠詞の使い方がなってないじゃない”
ちなみに、彼=米国の大学のfull Professor(アジア系)。発言主はスペイン人の大学院生。セミナー後の会話。
 なお、これに似たバージョンでこんな会話もあった。
“tomoyaの英語は、私の日本語より上手だ”(inoueと、留学の受け入れ先の先生との会話。ただし2004年頃。)

2002年 9月
 この頃までには英語コンプレックスがかなり解消。レベルはともかく、言いたいことをいうようになる。一念発起して、学部生の“熱/物質移動”の講義を聴講する・・・何せ、前年は大学院生向けの講義だったうえ、長時間の英語に耐えられず撃沈していたもので。

2002年10月
 実験がはかどり出す。“cool!”といわれるような結果も出だす。
企業派遣の留学が、2年であることの恩恵を知る。
 apple pickingに行く。

2002年10月末
 “赤ちゃんの性別、知りたい?女の子よ、女の子!”
(かかりつけの産婦人科にて)

2002年11月
 apple ciderとクランベリージュースの味を覚えた・・・が、クランベリージュースは、砂糖をべたべたに入れたなれの果てとあとで知る。
 調子に乗ってクランベリー(生)を買う。レジで、“おまえ、これ食べるのか?”と目を丸くされ、あとでその意味を知った(@Bread and Circus)。
 秋、深まる。

 
2002年11月、Thanksgivingの日
 妻の友人宅にThanksgivingでお呼ばれ。七面鳥の丸焼きを食す。たしか・・・雪だった・・・

2002年12月
 MRS年会期間中にも雪が降る。この冬は雪の当たり年(含む学校閉鎖)で、前年は凍らなかったCharles Riverも凍結した。

続く